2009年07月05日

ずっと以前、僕がまだ九つで、この世が素晴らしく、


「ずっと以前、


僕がまだ九つで、


この世が素晴らしく、


人生がまだ美しく


不思議な夢であった頃、


僕以外の者が皆、


少しキ印だと思っていた


従兄のムーラッドが、


朝四時に家に来て


僕の部屋の窓をたたいた。


「アラム」


僕は飛びおきて、


窓の外を見た。


僕は自分の目が


信じられなかった。」

ウィリアム・サローヤン
『我が名はアラム』福武文庫 1987 冒頭書き出し
posted by ふぃでりお at 21:51| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

思想警察はウィンストンをうち砕いた。


「ここでちょっと、


ジョージ・オーウェルの


『一九八四年』を取りあげてみよう。


ウィンストンはジュリア


愛しているにもかかわらず、


思想警察の餌食になって


ジュリアを否定し、


裏切った。


それは思想警察が、


彼の最も恐れているものが


ネズミだということを発見したからだった。


飢えきったネズミのはいった籠が


ウィンストンの頭上に置かれたとき、


思わずウィンストンは叫んでいた。


「こんなことはジュリアにやってくれ!」。


思想警察はウィンストンをうち砕いた。


この部分は


身の毛もよだつような場面で、


気の滅入りそうなほど


現実味にあふれている。」

ジョージ・オーウェル
『一九八四』

ディーン・R・クーンツ
『ベストセラー小説の書き方』朝日文庫 p.219 1996
posted by ふぃでりお at 23:11| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

その意味では日本文明というものが歴然と存在します


「わたしが考えている


文明というのは、


むしろフランスにおける


シビリザシオンにちかいもの


でございまして、


精神文明も物質文明も


両方ともふくんでおります。


歴史的連続体としての


文明をかんがえている。


そのなかには


人間そのものがふくまれております。


人間の組織、


人間をとりまく


さまざまな装置、


道路であるとか、建築であるとか、


都市・産業、そういうさまざまな装置群、


さらにそれを運営するとりきめ、


つまり制度ですね。


その全体をふくんだもの、


それの歴史的連続体が


文明だというふうに


かんがえております。


いいかえると、


人間、装置、制度、組織の全体で


つくっているシステム


ひとつの文明である、


その意味では日本文明というものが


歴然と存在します。」

梅棹忠夫
京都の精神』角川ソフィア文庫 平成17 p.162
posted by ふぃでりお at 22:45| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

祝祭日は、諸人物の追憶に捧げられるのです。


「祝祭日というものは、


一般的にいって、


まず


回想に捧げられているものです。


ことに、


文化的生活の発展に、


特別な功績のあった


諸人物の追憶に捧げられるのです。


先行者にたいする


この好意ある祭典は、


まさに


ないがしろにすべき


ではありません。


とくに、


過去における最良のものへの追想は、


現代の善意ある人々にたいして、


勇気ある努力を


鼓舞するに


ふさわしいからです。」

アルバートアインシュタイン
教育について(一九三六年)」『晩年に想う』講談社文庫 p.50
posted by ふぃでりお at 14:41| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

土と植物を相手にする仕事は、


「土と


植物を


相手にする仕事は、


瞑想するのと同じように、


魂を


解放させてくれるのです」

ヘルマ・ヘッセ
『庭仕事の愉しみ』草思社 1996
posted by ふぃでりお at 18:43| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

一六二六年四月の第一月曜日、


「一六二六年四月の第一月曜日、


『バラ物語』の作者が生まれた


マンの町は、


まるでユグノーが


第二のラ・ロシェルを築くために


襲撃してきたかのように、


まったくの混乱を呈していた。


多くの町民は、


女どもが泣きわめく子供


ほったらかしにして


大通りのほうへ逃げるのを見て、


あわてて鎧を身に着けた。


そして


火縄銃や槍でから元気をつけて、


宿屋フラン・ムニエへとむかった。


宿屋の前には刻一刻、


続々と、


好奇心に駆られた


騒々しい連中がつめかけていた。」

アレクサンドル・デュマ
三銃士』冒頭

ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』朝日文庫 p.100 1996で引用
posted by ふぃでりお at 11:27| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

今では只此話を誰かに書いて貰って、後世に残したい


「私はもうあきらめた。


譲歩に譲歩を重ねて、


次第に小さくなった


私の望は、


今では只此話を


誰かに書いて貰って、


後世に残したい


と云ふ位のものである。」

森鴎外


柄谷行人「神話と文学をめぐって」p.55
『反文学論』講談社学術文庫 1991
posted by ふぃでりお at 17:30| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

──サク、サク、……サク、サク……サク、サク……。


「軍靴の音が聞こえていた。


──サク、サク、


……サク、サク……サク、サク……。


雪を踏む音である。


──もう三時を回ったのか


……雪は止んだらしいが……。


北一輝は


半睡半覚の中にいた。


……彼の


好きな時間である。」

豊田穣
『革命家 北一輝』講談社文庫 冒頭 p.9
posted by ふぃでりお at 23:56| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

私に足場を与えなさい。地球を動かしてみせよう。


「昔、


アルキメデスが言った。


「私に足場を与えなさい。


地球を動かしてみせよう。」


これが現代の話なら、


私たちの電気メディアを指して、


こう言っただろう。


「君たちの目、耳、神経、脳の上に立とう。


地球は私の思いどおりの


テンポとパターンで動くだろう。」



マーシャル・マクルーハン
『メディアの理解』第七章、原著p.68

W.テレンスゴードン『マクルーハン』ちくま学芸文庫 2001
posted by ふぃでりお at 22:14| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

知識はいやまさん。


「多くの者が


生を享けて


過ぎゆき、


知識はいやまさん。


Multi pertransibunt et augebitur scientia.)」
ゲーテ(木村直司訳)
『色彩論』ちくま学芸文庫 2001 p.427

旧約聖書「ダニエル書」第十二章四節の自由な翻訳。…略…ゲーテはこの章句をフランシス・ベイコンの著書から引用したとみなされている。
ゲーテ(木村直司訳)『色彩論』p.473 訳注
posted by ふぃでりお at 23:08| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

ジョイスがお嬢さんを連れてユングに相談に来る


「ジェイムズ・ジョイスの


お嬢さんが分裂病で、


ジョイスがお嬢さんを連れて


ユングに相談に来るんです。


ジョイスは、


自分もいっぱい新造語を


つくったりした人ですから、


自分の娘は


新しき芸術家だと確信しているわけです。


世の中には認められていないけれども、


自分よりも


もっとすごい芸術家だと。


しかしユングは、


「あなたは芸術家だけれども、


お嬢さんは分裂病にすぎない」


と答えるんです。


なぜかというと、


意識的なかかわりというか、


あるいは操作といったらいいか、


それが介在したものとして


つくられているのが


ジョイスの新造語である。


ところが娘ルシアのそれは


無意識が


そのまま出てきているだけだから、


芸術ではないと言うんです。


だけどジョイスは


それを肯定しない。」

河合隼雄 谷川俊太郎
『魂にメスはいらない』
講談社+α文庫 1993 p.91
posted by ふぃでりお at 21:28| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

全体と結びついていないもの


「生きた自然の中では、


全体と


結びついていないものは


何も


起こらない。」

ゲーテ(木村直司訳)
『色彩論』ちくま学芸文庫 p.47
posted by ふぃでりお at 12:52| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

エリオットが猫好きだったのは一読すれば了解できます


「詩集『キャッツ』は、


ご覧のように十五篇の詩から


成り立っています。


一篇一篇の詩には、


きわめて個性豊かな猫たちが登場し、


それぞれのドラマを展開しています。


ニコラス・ベントリーの挿画も、


それぞれの詩の持ち味を生かし、


詩を引き立てています。


エリオットが、


大変猫好きだったのは


一読すれば了解できますが、


猫の仕草や性格


(その内面性、神秘性、獣性)


が実に生き生きと


的確にとらえられています。」

池田雅之「訳者あとがき」T.S.エリオット『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』ちくま文庫 1995 p.122-123
posted by ふぃでりお at 23:44| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月18日

私たちはガダマーの哲学の歩みを紹介しようとした


「…私たちは


これらを一冊に纏めて、


そこにガダマーの哲学の


歩みを紹介しようとした。


いずれにせよこうした諸論文の


核を成すものは


『真理と方法』であったと言えよう。


真理の概念をめぐって


多面的・重層的に


歩みを進めるガダマーの思索の跡を、


ディルタイ以来の


伝統的な解釈学の系譜の


新しい解釈学的展開として、


しかも今日の哲学的な


大きな潮流の一つとして紹介し、


いくらかでも


一般的注目を喚起することが出来れば


幸いである。


ガダマーの哲学が


さらに本格的に紹介され、


消化されて行くことは、


第二次大戦後のドイツにおける


哲学の流れの全体的な理解のためにも


欠くことの出来ないものである


と確信する。」

斎藤博・近藤重明・玉井治「訳者あとがき」p.483
ハンス−ゲオルク・ガダマー『哲学・芸術言語』未来社 1977
posted by ふぃでりお at 20:58| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

イデオロギーが死に、戦争と革命は生きのびている


「これまで、


戦争と革命が


二十世紀の様相をかたちづくってきた。


事件がいろいろと起ったのは、


レーニンのかつての予言を、


ただ大急ぎで実現するためだった


かのようである。


たしかに民族主義と国際主義、


資本主義と帝国主義、


社会主義と共産主義のような


十九世紀のイデオロギーを


主義主張として掲げている人びとは


依然としてまだ


大勢いるが、


これらのイデオロギーは


もう現代世界のリアリティ


大勢からはかけ離れている。


これに反して


戦争と革命は、


今日もなおわれわれの世界の


二つの重要な政治課題


となっているのである。


つまり、


戦争と革命を正当化する


イデオロギーがすべて


死に絶えたのちにも、


戦争と革命そのものは


生きのびている。」

ハンナ・アレント
『革命について』序章 冒頭 ちくま学芸文庫 1995 p.11
posted by ふぃでりお at 21:55| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

グラム・ロックなんてぇ 豚肉のコマ切れ


「グラム・ロックなんてぇ言葉が


日本でも急に広まりつつあるようで、


グラムと云ったって


豚肉のコマ切れを買おうってんじゃあないから、


100g、200gなんてえのとは訳が違う。


グラマラス、


つまり魅惑的と云おうか


惑的と云おうか、


とにかく美しくも華麗なる


ロックン・ロールが


ロンドンでは


花盛りなのであります。」

渡部勲
「T.Rex,“Children of the Revolution”」解説 来日記念3曲入り特別盤レコード 1972年9月30日
posted by ふぃでりお at 21:00| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

じっさい、今日まで遷都令はでておりませんので、


「わたくしどもは、


いまでも京都は首都である


と信じております。


子どものときから


くりかえしきかされた話


でございますが、


京都は旧都でなく


現に首都である。


それでは東京はなんだ


ということになりますが、


「あれは行在所である」、


そういうぐあいに


きかされてまいりました。


じっさい、


今日まで遷都令というのはでておりませんので、


いまでも天皇は


京都にいらっしゃるはずになっております。


京都は旧都でも、古都でも、廃都でもなく、


これこそは


永遠の都である


ということでございます。」

梅棹忠夫
『京都の精神』角川ソフィア文庫 p.59 平成17
posted by ふぃでりお at 21:46| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」「私は止める」


「翌十九日、


北一輝と西田税は、


青年将校らと同じく銃殺刑に処せられた。


すでに支那事変はエスカレートし、


日本軍は南京方面に向かう作戦を計画していた。


処刑前に


横に並んだ西田税が、


「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」


といったが、


北は、


「私は止める」


といい銃弾を受けて、


五十五歳の生涯を終わった。


戒名は


「経国院大光一輝居士」


である。」

豊田穣
『革命家 北一輝』講談社文庫 1996「第六章五・一五事件勃発!」末尾 p.545
posted by ふぃでりお at 21:31| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクルーハンって、誰?君が普通の人なら、


「マクルーハンって、誰?


君が普通の人なら、


おそらく聞いたことがあるだろう、


マーシャル・マクルーハンという名を。


『プレイボーイ』誌が


「ポップカルチャーの大司祭」


あるいは


メディアの形而上学者」


と呼んだ人だ。


そして、


彼の唱えた次のような標語を


ご存知かもしれない。


「メディアはメッセージである」


グローバルヴィレッジ(地球村)」


──でも問題はそこだ。


君はマクルーハンの本を


読んだことがないばかりか、


それを読むべきだと思い知らす本も


読んだことがないのだ。」

W.テレンスゴードン
『マクルーハン』ちくま学芸文庫 2000 p.8-9
posted by ふぃでりお at 01:30| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

孔子「論語」


「己れの


欲せざるところを


人に


施すこと勿れ」

孔子「論語」
posted by ふぃでりお at 23:38| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

この世に発表されたレコードのなかで最も重要で、


「1967年3月に発表された、


ヴェルヴェットアンダーグラウンド


デビューアルバムである、


『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』は、


この世に発表された


レコードのなかで最も重要で、


そして、


明らかに影響力のある


作品であるといえよう。


アルバムの原型は、


3000ドル足らずしかかけず、


1966年春、


4日間で録音された。


だがそれは


制作者自身の将来の作品となるだけでなく、


古くはデヴィッド・ボウイや


ジーザス&メリー・チェーン


果てはREMやU2までもが踏襲する


鋳鉄のパラメーターを


確立する


ベンチ・マークとなることになった。」

デイヴ・トンプソン(Akiyama Sisters Inc.Y)
The Velvet Underground & Nico,“The Velvet Underground & Nico Deluxe Edition”ライナーノーツより
posted by ふぃでりお at 23:53| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

猫に名前をつけるのは、全くもって難しい。


「猫に名前をつけるのは、


全くもって難しい。


休日の片手間仕事じゃ、


手に負えない。


寄ってたかってこのわしを、


変人扱いしとるけど、


いいかね、


猫にはどうしても、


三つの名前が必要なんだ。」

T.S.エリオット
キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』ちくま文庫 1995 p.8 冒頭
posted by ふぃでりお at 20:30| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

みんなおかあさんからうまれてきたあかちゃんだった


「5年、10年、20年、30年、40年、50年……。


みんな 


大きくなって 


いろいろなところで 


いろいろなことをする 


ひとに なります。


でも、


さいしょは 


みんな………


おかあさんのおなかから 

うまれてきた


あかちゃんだったのです。」

鈴木まもる『みんな あかちゃんだった』
小峰書店 2000 末尾
posted by ふぃでりお at 23:49| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

宗教は人間存在の最深層に埋没している。


「…近代人の


空想力と夢の体験には、


宗教的象徴や人物や主題が


いぜんとして普及している


ということである。


心理学者のある人びとが


くりかえし楽しんでいるように、


無意識とは


宗教的なものなのだ。


ある見方からすると、


非聖化された社会の人間には、


宗教は


「無意識のもの」


となっているともいえるのである。


宗教は


人間存在の最深層に埋没している。


しかし、


このことは宗教が


精神の有機的組織で


本質的機能を果たしつづけてはいない


という意味では


けっしてない。」

ミルチャ・エリアーデ(堀一郎訳)
『生と再生』東京大学出版会 1971 p.255-256
posted by ふぃでりお at 23:22| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

……天才的ピアニスト…………童貞……


「「俺はここで死ぬのかな……」

(略)

「俺はここで死ぬのかな」
(略)

……天才的ピアニスト……
……童貞……

……肺病……

……乞食……

……死……」

夢野久作「童貞」
『少女地獄』角川文庫 昭和51 p.190
posted by ふぃでりお at 22:47| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

ジョイスの『ユリシーズ』やエリオットの『荒れ地』など


「大部分の


擬似秘教集団は


希望なき不毛のもの


というほかない。


それをどんなに信頼したとて


何ら重要な文化的創造を


もたらしはしない。


逆に、


いくつかの現代作品にも、


そのなかにイニシエーション


テーマの認められるものがある。


例えば、


ジェームズ・ジョイスの
『ユリシーズ』や


T.S.エリオットの『荒れ地』


などだが、


これらは秘儀を伝授していると主張しない、


またどんな秘教団にも属さない


作家や芸術家によって


創作されたものである。」
ミルチャ・エリアーデ(堀一郎訳)
『生と再生』東京大学出版会 1971 p.272-273
posted by ふぃでりお at 23:54| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

谷崎潤一郎がスタンダールを下敷きにしなかったなら


「…もしも谷崎潤一郎が


スタンダールを下敷きにしなかったならば


『春琴抄』や『盲目物語』や『少将滋幹の母』のような


かれの後期の作品は


うまれなかったのではあるまいか


とさえおもわれる。


むろん、


かれのお手本にしたスタンダールの小説は、


『赤と黒』ではなく、


『カストロの尼』を頂点とする


イタリア年代記』のなかにみいだされる


一連の作品だ。


わたしは、


あのやや古びのついた、


スタンダールのドキュメンタリータッチのことを


いっているのである。


(そういえば、昭和初年、


すでに谷崎潤一郎は


『カストロの尼』の翻訳に手をつけていた。)」

花田清輝
「市場に生きる」『冒険と日和見』創樹社 1971 p.20-21
posted by ふぃでりお at 22:57| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

サッカーで、ゴールにまで至るのは一パーセントである


「…サッカーでは、


同じようにハイレベルのものであっても


攻撃のわずか


一○パーセントシュートになるだけ


だし、


ゴールにまで至るのは


一パーセントである


(攻撃の五○パーセントが


パスの失敗か


インターセプトに終わる。


相関分析に基づく診断は、目下のところ問題外だ……)」

W.デュフール『EPS評論』第二一七号、1989年5月〜7月

R.トマ/J=L.シェノー/G.デュレ『フランスのサッカー』白水社 文庫クセジュ 1998 p.24
posted by ふぃでりお at 22:02| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

シミを我々は「ヨゴレ」などと思ってはいけない。


「怨念、怨み、悲しみなどは、


この地球上に眼に見えないシミとなって


残る気がします。


なんだか寂しい場所 


なんだか苦しい場所 


なんだか悲しい場所 


そのような空気が漂う場所には


そんなシミが残っていると思うんです。


このシミを我々は


「ヨゴレ」


などと決して思ってはいけない。


この世にシミとなって残ってしまったほどの感情。


そこから眼を背けてはいけない。


しかし、僕は思う


負けてるんじゃないかと。


ネガティブな感情や怨念に


負けてるんじゃないかと。


僕らがアホみたいに


バカ笑いした感情や涙が出るほど


感動したパワー、


そして


拾ったエロ本を森の中で


コソコソと皆で読みあったあのエネルギー。


それらも同じく僕らが死んだ後、


この世に、


その場所に


染み付いてもいいはずだ。」

マキシマムザホルモン「シミ」マキシマムザ亮君の曲解説より
posted by ふぃでりお at 21:04| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

作曲とは他人に分かるように、時間系列の中に開くこと


モーツァルトは、


「天使の音楽」という


呼び名からもわかるとおり、


一瞬のうちに


曲想全体を認識してしまうことが


できたといわれている。


彼にとって、


作曲とは一瞬にして得た曲想を、


他人に分かるように、


ただ時間系列の中に


開いていくことだった。」

黒崎政男
『身体にきく哲学』p.185 NTT出版
posted by ふぃでりお at 23:51| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

深い意義を持つイニシエーション儀礼が消滅し


「近代世界の


特色の一つは、


深い意義を持つ


イニシエーション儀礼が


消滅し去ったことだ


とよくいわれる。」

ミルチャ・エリアーデ(堀一郎訳)
『生と再生』東京大学出版会 1971 p.3 序説
posted by ふぃでりお at 22:10| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

修行に冷暖自知の所


「修行に


冷暖自知の


所なくは


到りがたし





なり」

二条良基
「十問最秘抄」

修行は自分自身で感じなければ成果は上がらない。
posted by ふぃでりお at 22:58| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

曲目解説「ORANGE CRUSH」R.E.M.


「2つ3つのコード、


いいメロディ


そして


幾つかの言葉が


700ページの小説


以上の意味を


持つことだってある。」

ピーター・バックによる曲目解説「ORANGE CRUSH
R.E.M.“IN TIME:THE BEST OF R.E.M. 1988-2003”
posted by ふぃでりお at 21:41| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

真の批評は、そこから始る筈だ


「評家が


批評方法といふ武器を


捨てて了つた、


而も


まだ


言ふ事があるなら、


真の批評は、


そこから始る筈だ」

小林秀雄
昭和十一年中山省三郎宛て私信でドストエフスキー論を書いた動機について述べながら
posted by ふぃでりお at 22:47| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

ドオヴァアの海岸が月光を浴びてゐるのを眺めてゐるうち


「英国のアァノルドに


Dover Beachと題する


この詩人の


絶唱に数へていいものの一つがある。





ドオヴァアの海岸


月光を浴びてゐるのを


眺めてゐるうちに


思ひがアァノルドにとつての


現在だつた


ヨオロツパの十九世紀に


向ふ詩であるが、


これも夜とか月とかいふ言葉が


意識に上つたことから


始まつたものかも知れない。


そのうちに幾つかの言葉が


そこに生じて


窓際から夜の海岸を


自分が眺めてゐる状況、


その現実が確たる形を取るに至れば


その自分であるアァノルドの


日頃の関心があつた所もものを言つて


十九世紀といふ


ヨオロツパの一時代の出現になるのは


少しも不思議でなくて


月光を浴びて


波に洗はれる海岸の眺めに重なつて


そのヨオロッパの


荒涼たる境地で


詩が終わつてゐる。」

吉田健一「詩に就て V」
posted by ふぃでりお at 23:09| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

Horace Silver“Song For My Father”vsヘーゲル「国家体制論」

Horace SilverSong For My Father

vs

フリードリヒ・ヘーゲル「国家体制論」

JAZZとヘーゲルの異色コラボ!なんか素敵な気分に浸れました。ホレス・シルバーの精神とヘーゲルの精神。固いヘーゲルの訳文がスムーズに入った気が。。。

「精神はそれゆえ、


その抽象態において、


〈自己〉を喪失した


内的なものとして対象化される。


しかし、


この内的なものは、


自我そのものであり、

そして


この自我が


その内的なものの定在


そのものなのである。


内的なものの形態は


死せる事物、


貨幣ではなくて、


やはり自我である。


言いかえると、


精神にとって国家は


一般に、


自らの行為と努力の対象であり、


目的なのである。」

フリードリヒ・ヘーゲル「国家体制論」(座小田豊・山崎純訳)現代思想12臨時増刊特集=ヘーゲル 1978
posted by ふぃでりお at 20:37| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

美しい「花」がある、そうそれ!


「美しい「花」がある、


「花」の美しさ


という様なものは


ない。」

小林秀雄
posted by ふぃでりお at 23:21| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

我々の学問の上にも永く爽快なる印象を遺そうとして


「昭和六年の回顧は、


我々の学問の上にも


永く爽快なる印象を


遺そうとしている。


何よりもありがたいのは、


気まぐれにしてまた


断片的なる今までの採集をもって


満足せず、


新たに系統立った観察と記録を


試みんとする計画が、


全国の各地に期せずして


現われて来たことである。


一国民俗学という名称は、


幾たびか


私が唱えんと欲して


躊躇していたところであるが、


もう今日となっては


大胆僭越と評せられる懸念なしに、


この名の新学問が


将来日本の土に


繁り栄えんことを、


祈念しまた


希望し得られるようである。」

柳田国男『食物と心臓』

子安宣邦『日本近代思想批判』岩波文庫現代 2003 エピグラフにて引用
posted by ふぃでりお at 21:51| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

自らを尊しと思わぬもの


「自らを


尊し





思わぬものは


奴隷


なり」

夏目漱石
「断片」
posted by ふぃでりお at 21:58| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自らを尊しと思わぬもの


「自らを


尊し





思わぬものは


奴隷


なり」

夏目漱石
「断片」
posted by ふぃでりお at 21:57| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

松村剛「ローマ字化論の傷あと」


「日本人で


字の読めない人間は


稀であると、


幕府の招きで長崎に来た


オランダの海軍将校カッテンディーケは


日記にしるし、


殆どの人間が


読み書きできたことは


同時代の日本人の随筆にも書かれている。


読み書き人口は、


ひかえめにみつもっても


七、八割には達していたと思われる。


七、八割でも、


同時代の世界最高水準である。」

松村剛
「ローマ字化論の傷あと」産経新聞 昭和50年7月16日掲載
posted by ふぃでりお at 23:42| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

俺たち流のビーチ・ボーイズへのトリビュートだ。


「言うまでもなく、


これは俺たち流の


ビーチ・ボーイズへのトリビュートだ。


マイクによると、


彼とビルがメイコンに住んでいた時、


2人はビーチ・ボーイズの


8トラックに合わせて歌いながら


しょっちゅう街の中を転がしてて、


そのお陰で高音域が随分


鍛えられたんだそうだ。


ビルが辞めるその日まで、


2人はそのハイノートを


苦もなく出すことが出来ていたよ。」

ピーター・バックによる曲目解説「AT MY MOST BEAUTIFUL
R.E.M.“IN TIME:THE BEST OF R.E.M. 1988-2003”
posted by ふぃでりお at 22:40| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

「なあ、ホレーショ」


「なあ、


ホレーショ、


この天地の間には、


われわれの哲学では


とうてい


考えおよばぬことが


たくさんあるのだからな」

シェイクスピアハムレット

藤村操「巌頭之感」に引用
posted by ふぃでりお at 21:55| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

俺たちがこれまで書いた中で一番バカげた曲だな。


「疑いの余地なく「スタンド」は、


あー、


どう言えばいいんだろう?


そう、


俺たちがこれまで書いた中で


一番バカげた曲だな。


けどこれは何も悪いことじゃないんだぜ。


俺が昔から大好きな


ロックン・ロール・レコードの大部分は


めちゃくちゃアタマ悪くて、


だから「スタンド」が、


例えばザ・キングスメン


「ルイ・ルイ」みたいな、


殆ど神の領域に達した


凄い影響力を持った


バカバカしさには


とても及ばないとは言っても、


少なくとも俺たちは同じフィールド


プレイしてるってわけだ。」

ピーター・バックによる曲目解説「STAND
R.E.M.“IN TIME:THE BEST OF R.E.M. 1988-2003”
posted by ふぃでりお at 22:33| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

身体は幼児にとって、混沌とした現実なのです。


「鏡像の了解とは、


鏡の中に見えている姿を


おのれの姿


と認めるところにあります。


幼児の世界に


鏡像が入り込んでくるまでは、


身体は幼児にとって、


強烈に感じられはしても


混沌とした


現実なのです。」

モーリス・メルロ=ポンティ
「幼児の対人関係」
『眼と精神』p.162
posted by ふぃでりお at 20:28| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月11日

全員ギッタギッタのケッチョンケッチョンにぶっ生き返してやるわい!


「かつて偉大なるブルーハーツ


悩める若者達へ


「がんばれ!」


とでっかい声で叫んでくれましたが、


俺はそんな言葉は使いたくないのだ。


いじめなどを苦に


自殺を考えてるやつらを


俺は「恐喝」してやりたい。


おら!!


おまえら全員


ギッタギッタのケッチョンケッチョンに


ぶっ生き返してやるわい!


このボケ!カス!ハゲ!ニラ!


「昨日」なんてどうでもいい。


「明日」なんてどうせすぐに「今日」に変わる。


ならば今日だ!


今日が勝負だ!


うむ・・・


こっから先は口にすると


ショボくなるから言いません(笑)


ていうか


タイトル英語の部分で気付きやがれ


ボケ!カス!ハゲ!ニラ!(ニラまじ関係ねー!)」

マキシマムザホルモン「恐喝〜kyokatsu〜」マキシマムザ亮君の曲解説より
posted by ふぃでりお at 20:39| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

そうだ。たった今から全部ぶっ生き返してやろう。


「そうだ。


たった今から全部ぶっ生き返してやろう。


あの頃の情熱を蘇らそう、だとか


大事な思い出をずっと忘れない、だとか


心の中であの人はいつまでも生き続ける、だとか


感情を押し殺すなんてやめよう、だとか


明日から生まれ変わろう、だとか


そんなショボイ台詞、俺は言いたくないね。


これからは「ぶっ生き返す」だ!


この一言にすべて入ってる。」

マキシマムザホルモン「ぶっ生き返す!!」のマキシマムザ亮君の曲解説より
posted by ふぃでりお at 13:44| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

そのまめをカミソリで殺ぐのが面白かった。


「秋幸は手をひろげて見た。


つるはしを握る時も


シャベルを握る時も


手袋の類をしなかったので、


固いまめが出来ていた。


そのまめを


カミソリで殺ぐのが面白かった。


秀雄と五郎の事は、


てのひらのまめを


カミソリで殺ぐ楽しみを知らない者同士の、


諍いにすぎない。


あの男もそう考えているだろう、


と思った。


美智子が泣いて騒ぎ、


実弘が面子を気にして謝りに家まで来い、


と言うほどの事ではないのだった。


男にしてみれば、


人に頭を下げ謝るくらいなら、


そんな原因をつくった


自分の息子を


殴り殺してしまったほうがよい。」

中上健次『枯木灘』河出文庫 p.74
posted by ふぃでりお at 20:19| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

わたしの著書の空気を呼吸するすべを心得ている者


「──わたしの著書の空気を


呼吸するすべを心得ている者は、


それが高山の空気、


強烈な空気であることを


知っている。


ひとまずこの空気に合うように


出来ていなければならぬ。


さもないと、


その中で風邪をひく危険は、


けっして小さくはない。


氷はまぢかだ。


孤独はぞっとするほどだ。」

フリードリヒ・ニーチェ『この人を見よ』(手塚富雄訳)序言 p.9 1969 岩波文庫
posted by ふぃでりお at 23:05| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

精神分析とは、それ自体“読む”こと

「…精神分析とは、それ自体“読む”ことであり、むしろ精神分析こそ文学批評に属しているというべきである。さらにまた、フロイトのテクストを“読む”ことはけっして容易ではない。フロイトのテクストのなかに、反フロイディズムをさえ読むこと、それが“読む”ことなのだ。「フロイト的方法」などといったものを斥けなければ、フロイトの「方法」を読むことはできないのである。」

柄谷行人「現実について」p.47 『反文学論』講談社学術文庫 1991
posted by ふぃでりお at 21:15| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

ヘーゲルの一つのピークである『精神現象学』


「ヘーゲルの


一つのピークである『精神現象学』は


初期とはいえないが、


若いときに書かれている。


後期になっていくと、


ヘーゲルは


固定的な体系に向かい、


『大論理学』に代表されるように、


正反合の安定した


弁証法に入り込んでしまっている。


その差は、


いま述べてきた


カントの第一版と第二版の


エネルギーの差と同様なもののように、


私には感じられる。」

黒崎政男
『身体にきく哲学』第五章 p.160
posted by ふぃでりお at 21:30| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

「差異」のみが歴史性の根拠である。


「私が明確にしたいと思うのは、


さまざまな作品が


相補的に助け合い


戦後文学を構成しているとか、


すべてダメだという、


いかがわしい


共時性や党派性ではなく、


それらの差異


であり関係である。


「差異」のみが


歴史性の根拠である。」

柄谷行人
「方法をめぐって」p.15 『反文学論』講談社学術文庫 1991
posted by ふぃでりお at 16:29| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月04日

三島由紀夫『三熊野詣』


「那智の滝は、


古え、


神武天皇がこの滝を神と祭られ、


大穴牟遅神(大国主神)の神体と


仰がれて以来、


二千年にわたって霊所となり、


宇多上皇このかた八十三度の御幸あり、


花山天皇は千日の滝籠りをされたところである。


また、


役行者の滝行以来、


修験道の行場としても名高く、


飛滝権現と呼ばれて、


今も滝のお社は、


正式の名を熊野那智大社別宮飛滝神社


という由である。」

三島由紀夫『三熊野詣』
posted by ふぃでりお at 22:57| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月03日

こんな話がある…


「ポーの作品に、


ある医者が


民主的な新治療法を


実行しているという


評判の病院を訪れると、


実は


患者がクーデターをおこして


自主管理していたことがわかる


という話がある。」

柄谷行人
「同一性と差異性について」p.17 『反文学論』1991
posted by ふぃでりお at 14:45| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

ニーチェが引用したコトバ


「自分自身


であるところの


ものになれ」

フリードリヒ・ニーチェ

無理だよ先生。そうするには、難しすぎる時代だよ。

ヘルダーリン『ヒューペリオン』でピンダロスのこの言葉を引用。ニーチェはそれをさらに引用。
posted by ふぃでりお at 23:16| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月01日

たえず自分を変容させて、先へ先へと進むこと先へ!先へ!


「本来の自分、


自分自身であるところの


自分などというのは、


何であるか分からないから、


たえず


自分を変容させて、


先へ先へと進むこと、


いかなるものとも


アイデンティファイしないこと、


これがニーチェの


思想的核である。」

三島憲一
「自分自身であるところのものになれ」
『だれでもわかるニーチェ』河出書房新社 2000 p.4
posted by ふぃでりお at 22:36| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月30日

大槻ケンヂのコトバ(筋肉少女帯「労働者M」)


「アリストテレスも


ただの人、


アルチュール・ランボー


ただの人、


ニーチェなんかも


ただの人


人間とはミトコンドリアの様な物だ!


働け!働け!…」

大槻ケンヂ

筋肉少女帯「労働者M」
posted by ふぃでりお at 22:27| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

田舎臭いその区別は、誰かが引いたチョークの線


「なんでこの片田舎に、


なんでこの職業


引っかかっていなければならないのだ。


なぜ


隣人のいうことに


注意深くしたがわねばならないのだ。


数百マイルも行けば


いかなる意味でも


強制力のない


特定の見解に自分をあわせて


したがうというのは、


なんとも田舎臭いではないか。


オリエントとかオクシデントといったところで、


その区別は、


誰かがこわがる我々をからかって


我々の目の前に引いた


チョークの線でしかない」
フリードリヒ・ニーチェ
「教育者としてのショーペンハウアー」第一節

くそ!なんてこと言いやがんだ!カッコイイやんか!
posted by ふぃでりお at 21:32| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

饗庭孝男「小説の場所と<私>」(長塚節『土』論)


「自然を文学者の、


ひたすらな夢想からとらえることなく、


構造的に


擬人法とイメージを駆使して


その深さを描き、


それと不可分にある


村の秩序の思考と感性が、


どのようにして


一個の人間の思想


をとらえているか


を明らかにし、


禁忌の仄ぐらい闇に眼をむけ、


極度に


人々の想像力をかき立てることによって


有機的な社会の原型の脈動を


現象学的な方法でうきぼりにした


小説


ここにある。」

饗庭孝男
「小説の場所と<私>」

長塚節『土』を文体論的に読んだことで有名。
posted by ふぃでりお at 19:58| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

中上健次『枯木灘』冒頭書き出し


「空はまだ


明けきってはいなかった。


通りに面した倉庫の横に


枝を大きく広げた丈高い


夏ふようの木があった。


花はまだ咲いていなかった。


毎年夏近くに、


その木には白い花が咲き、


昼でも夜でも


その周辺にくると


白の色とにおいに


人を染めた。」

中上健次
『枯木灘』冒頭書き出し
河出文庫
posted by ふぃでりお at 21:26| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

チェーホフの「六号室」


「…慣れる


ということは恐ろしい。


奇怪なものを


奇怪なものと


思わなくなれば、


自分自身が


奇怪なものとなる。


チェーホフの


「六号室」のようなものである。」

柄谷行人
「同一性と差異性について」p.17
posted by ふぃでりお at 19:21| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

死ぬとき、計りしれぬ、喜び


「死ぬとき、


わたしは


計りしれぬ


喜び


を知るだろう」

エマニュエルレヴィナス
『「白日の狂気」についての試論』若森栄樹訳 p.37-64
posted by ふぃでりお at 21:26| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月21日

生きることの最大の障害とは?


生きることの


最大の障害は、


期待を持つ


ということである」

セネカ
「人生の短さについて」

でも持っちゃうよ。どうしても。。
posted by ふぃでりお at 21:44| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

心の中に沈んで居すわる虚偽


「害をなすのは、


心を


素通りする


虚偽ではなく、


心の中に


沈んで居すわる


虚偽である」

フランシスベーコン
「随筆集」
posted by ふぃでりお at 19:46| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

他人に存する小なるものの偉大


「おのれに存する


偉大なるものの


小を


感ずることのできない人は、


他人に存する


小なるものの


偉大を


見逃しがちである」

岡倉天心


ホントそれ!日常でそう思うことが多々あります。

ことわざにもこうある。「一寸の虫にも五分の魂」
posted by ふぃでりお at 21:37| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す。曰く「不可解」。


「悠々たる哉天壌、


遼々たる哉古今、


五尺の小躯を以て


此大をはからんとす。


ホレーショの哲學、


竟に何等のオーソリチーを價するものぞ。


萬有の眞相は


唯だ一言にして悉す。


曰く「不可解」。


我この恨を懐いて


煩悶終に死を決するに至る。


既に巌頭に立つに及んで


胸中何等の不安あるなし。


始めて知る


大なる悲観は


大なる樂觀に一致するを。」

藤村操「巌頭之感」

ホレーショの哲学とは、シェイクスピアハムレット』の「なあ、ホレーショ、この天地の間には、われわれの哲学ではとうてい考えおよばぬことがたくさんあるのだからな」を指す。
posted by ふぃでりお at 10:04| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

身体抜きの精神として「私」は自立してしまうわけ


「哲学は、


十九世紀までは、


カント、ヘーゲルに見られるような


純粋自我の洗練化に


向かっている。


何度も述べてきたように、


デカルトの素朴な「私」から、


カントのようのように


超越論的自我になり、


ヘーゲルの絶対精神になり、


フィヒテのように


本当に「私(Ich)」という


存在こそが根源であるといった、


完全に


身体抜きの精神として


「私」は自立していってしまうわけである。


人間が神であれば


それでよかった。


だが、残念ながら、


それが身体性によって


裏切られる、


というところに


大きなドラマがあるわけである。」

黒崎政男
『身体にきく哲学』NTT出版 2005 p.53
posted by ふぃでりお at 20:52| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

観の目を強く!ムサシ


「観の目


を強く


見の目


を弱く」

宮本武蔵
『五輪書』

見るんじゃなく、観るんだね。タケゾー
posted by ふぃでりお at 22:27| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

善を忘れず


「一悪を


もって


その善を


忘れず」

太宗「帝範」

唐第二代皇帝の言葉 一度のミスだけでその人を判断するな
posted by ふぃでりお at 21:59| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

エミール・クレペリン/分裂病と躁うつ病/二大精神病


「<内因性の神話>とは、


いってみれば、


分裂病とよばれる症状は


遺伝的素質にもとづき、


なんらかの


大脳の器質的変化のために発現してくる、


という仮説である。


この仮説は、


エミール・クレペリンが


十九世紀末に、


分裂病と躁うつ病を


内因性の二大精神として以来、


ほとんど


神話的な呪縛力をもって


流布されてきた。」

赤坂憲雄
「物語としての精神分裂病」p.22
posted by ふぃでりお at 21:34| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

流行ってヤツ


「流行は


見るに堪えられないほど


醜い外貌を


しているので、


六ヵ月ごとに


変えなければならない


のだ」

オスカーワイルド
「理想の夫」

たしかに茶系のファッションしてるヤツはひと昔前とか書いてたな、ヤフーニュースに。
まぁ、着るけど。逆に。
posted by ふぃでりお at 20:03| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

「相手の話す速度に同情して相づちを打ってください」


「…私はやり方を変えてみます。


「相手の話をよく聞いてみましょう。」


と伝えた後、


「相手の話を聞く」ことが


具体的にどのようなことを指すのかを


シンプルに示すのです。


「黙って視線を合わせ、


相手の話す速度に


同情して相づちを打ってください」。


実はこれが


魔法の言葉です。」

菅原裕子
コーチングの技術』講談社現代親書 p.17 2003
posted by ふぃでりお at 21:06| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

己に克つ


「己に克つ


ためには


心の


安らかさを


保つことである」
新渡戸稲造「武士道」
posted by ふぃでりお at 21:53| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

病者自身に内面を語らせるヤスパースの現象学的方法


「…病者自身に


その内面を語らせ、


また語られるものを


忠実に記述しようとする


現象学的方法を確立した


ヤスパースもこの神話の圏内にあった。


ヤスパースによれば、


分裂病とは


患者の身体のなかに、


それまでの人格の発展とは異質な、


逆戻りせずたえず進行をつづける


病的過程が生じるために、


これが患者の人格に


変化をおよぼし


症状としてあらわれたものである。」

赤坂憲雄
「物語としての精神分裂病」p.22
posted by ふぃでりお at 13:08| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

人間の行動は通訳者?


「人間の行動


というものは


思考の


最上の通訳者


である。」

ジョン・ロック
「人間悟性論」

たしかに。その人がやった行動はイコール思考だもんな〜。
posted by ふぃでりお at 19:57| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

清浄を愛し穢れを憎みたまふ神様


「日本民族の神々ほど、


清浄を愛し


穢れを憎みたまふ


神様は、


世界中


どこを捜しても


無い


と云つてよい。」

柳田國男
posted by ふぃでりお at 19:18| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

青があらわすもの。それは…


「青は精神と孤独、


憧憬と郷愁の色であり、


悲哀と沈静をあらわし、


若い心の不安と


動揺をつたえる。


青は又


抑制の色であって、


絶えず心の奥に秘められて、


達することの出来ない


願望の色である。


それは


頽廃と死への誘惑


にも傾く。」

東山魁夷
posted by ふぃでりお at 20:01| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

そこなんですよ。人間讃歌を描いていて悩む点は。


「『連続』──


音楽のすばらしさは


連続する音の美しさ


であり、


モーツァルト


『音符一つとしてカットできない』


と皇帝に向かって言ったし、


生命も連続する


DNAという鎖でできている。


そう考えると、


この世には連続する


どうすることもできない


「運命」というものが


存在するのを認めざるを得ない。


しかし一方で


「運命」で決定されているとなると、


努力したり喜んでも


仕方がないという考えも生まれてくる。


そこなんですよ。


人間讃歌を描いていて悩む点は。


答えはあるのか?」

荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』63巻 作者のことば
posted by ふぃでりお at 18:05| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

いのちあるものは


「いのちあるものを見るのは


無限にたのしい。


いのちあるものは


また


無限にかなしい。」

高村光太郎
posted by ふぃでりお at 21:53| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

才能ない、もう遅い、暇がない…なんて嘆く人たちへ


「才のともしきや、


学ぶことの晩きや、


暇のなきやによりて、


思ひくづをれて、


止ることなかれ、


とてもかくても、


つとめだにすれば、


出来るものと心得べし」

本居宣長『初山踏』

いまからでも遅くない!
なんか始めよ。
posted by ふぃでりお at 22:16| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

工芸とは…用の世界


「工芸は


雑器に於て凡ての


仮面を脱ぐのである。


それは用の世界である。


実際を離れる場合はない。


どこまでも


人々に奉仕しようとして


作られた器である。」

柳宗悦
posted by ふぃでりお at 20:59| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

自殺しなけあなりません。


「愛するものが


死んだ時には、


自殺


しなけあなりません。


愛するものが


死んだ時には、


それより他に、


方法がない。」

中原中也
「春日狂想」『在りし日の歌』
posted by ふぃでりお at 21:01| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

僕ハモーダメニナツテシマツタ


「僕ハ


モーダメニナツテシマツタ、


毎日訳モナク


号泣シテ居ル


ヤウナ


次第ダ」

正岡子規
夏目漱石宛て手紙 明治三十四年十一月六日付け
posted by ふぃでりお at 19:20| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月29日

原民喜『水ヲ下サイ』

「水ヲ下サイ


アア 水ヲ下サイ


ノマシテ下サイ


死ンダハウガ マシデ


死ンダハウガ


アア


タスケテ タスケテ


水ヲ


水ヲ


ドウカ


ドナタカ


オ-オ-オ-オ-


オ-オ-オ-オ-」

原民喜『水ヲ下サイ』
posted by ふぃでりお at 20:42| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「書」は、手の筋肉の動き、つまり手習いにつきる


「「書」とは、


書かれた字ではなく、


「書くこと」であり、


まさに手の筋肉の動き、


つまり手習いにつきる


のである。」

栗田勇
posted by ふぃでりお at 09:07| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

「近代の超克」は公の戦争思想の解説版


「「近代の超克」は


、いわば日本近代史の


アポリア(難関)の凝縮であった。


復古と維新、尊王と攘夷、


鎖国と開国、国粋と文明開化、


東洋と西洋という伝統の


基本軸における対抗関係が、


総力戦の段階で、


永久戦争の理念の解釈をせまられる


思想課題を前にして、


一挙に問題として爆発したのが


「近代の超克」論議であった。


だから問題の提出はこの時点では


正しかったし、


それだけ知識人の関心も集めたのである。


その結果が芳しくなかったのは


問題の提出とは別の理由からである。


戦争の二重性格が


腑分けされなかったこと、


つまりアポリアとして


認識の対象にされなかったからであり、


そのために保田のもつ破壊力を


意味転換に利用するだけの


強い思想主体を生み出せなかったからである。


したがって、


せっかくのアポリアは雲散霧消して、


「近代の超克」は


公の戦争思想の解説版たるに


止ってしまった。


そしてアポリアの解消が、


戦後の虚脱と、


日本の植民地化への思想的地盤を


準備したのである。」

竹内好
posted by ふぃでりお at 09:49| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

三島由紀夫『金閣寺』より「美は……美的なものは」


「美は……


美的なものは


もう


僕にとつては


怨敵なんだ」

三島由紀夫
金閣寺』昭和三十一年刊
posted by ふぃでりお at 21:23| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

生きてゐる人間≠動物


「生きてゐる


人間とは、


人間に


なりつゝある


一種の動物


かな。」

小林秀雄『無常といふ事』
posted by ふぃでりお at 19:47| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

ぢや。さやうなら。

「中原よ。

地球は冬で寒くて暗い。



ぢや。

さやうなら。」

草野心平
「空間」

中原中也に注ぐ草野心平のまなざし
posted by ふぃでりお at 21:36| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

地獄には地獄の法律。錯乱には錯乱の論理。


「地獄には


地獄の法律がある。


錯乱には


錯乱の論理がある。


こういう錯乱の論理を


把握しないで、


どうして


狂人の論理の錯乱を


笑うことができようか。」

花田清輝
posted by ふぃでりお at 21:39| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

私が書きものをしている机が存在する


「私が書きものをしている机が


存在する、


と私は言うが、


それは私がその机を見、


それに触れるということである。


また私が書斎を出るとしても、


机は存在する、


と私は言うであろう。


その意味は、


もし私が書斎にいたら


私は机を知覚したであろう、


ということであり、


言いかえれば、


ある他の精神が現実に机を知覚している、


ということである。


匂いがあったということは、


それが嗅がれたということである。


音があったということは、


それが聞かれたということである。」

バークリー
『人知原理論』
posted by ふぃでりお at 21:50| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月21日

敗戦というすごい傷口さえ、まるでなにもなかったよう


「しかし不思議な国だ。


何ごとがあっても、


どんな裂け目に血がふき出しても、


たとえば敗戦という


すごい傷口さえ、


しばらくすると


まるでなにもなかったように


平たく


なでられてしまうのだ。」

岡本太郎
posted by ふぃでりお at 21:34| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月20日

いま不幸な人生を送っていると思うのなら、

「もし、


いま不幸な人生を


送っていると思うのなら、

あなたが存在しない世の中を


想像してみるがよい。


多分、


あなたのまわりには、


不幸になる人が


何人もいるはずである。」

大島正裕編
『座右の銘』実用図書刊行会 昭和54年 p.2
posted by ふぃでりお at 09:51| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

時は一切を征服する。



「時は


一切を征服する。


我々は


時に


従わねばならぬ。」


アレクサンダー・ポープ
posted by ふぃでりお at 19:17| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

画の勝負は生きているか死んでいるかが問題だ


「画の勝負は


美しいとか


醜いとかいうもの


ではない


生きているか


死んでいるかが


問題だ」

中川一政

800枚以上薔薇を描いた画家
posted by ふぃでりお at 21:24| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スピノザの神は宗教の神とは違う。宇宙そのもの


「…多のあり方を


理性で一としてとらえ直したのが


スピノザの哲学なのだ。


スピノザの神は宗教の神とは違う。


宇宙そのもの


自然そのもののことである。


世界は一つしかない。


このような考え方を


汎神論(一元論)という。


デカルトが


「思惟」と「延長」を


精神と物体という実体の属性(本質)


と考えたのに対し、


スピノザは、


神こそが唯一の実体であるとした。


だから、


精神と物体は神の属性であって、


同じものが違った形で


表現されているだけだというのだ。


ちょうど、


電気が光と熱を発するように、


基は同じだが現れ方が違うのである。」

富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.120
posted by ふぃでりお at 00:28| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月16日

ゴッホの画が


「ゴッホの画が


私をとらえたのは


まずムーヴマンであった。


セザンヌを更に見て


そのムーヴマンが


何気なくかくされているのを見た。」

中川一政
posted by ふぃでりお at 20:12| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

哲学的思索において最初に出会う最も確実な命題?


「…「我思う、ゆえに我あり」という命題こそが


哲学的思索において最初に出会う


最も確実な命題であり、


デカルトはこれを


「哲学の第一原理」としたのである。


この原理がなぜ正しいかというと、


「明晰かつ判明」だからである。


従って「明晰かつ判明」


と理性が判断したことはすべて


正しいということになる。」

富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.110
posted by ふぃでりお at 23:23| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感覚から得た前提で論理を組み立てることをやめるのだ。


「…感覚は誤りやすいからこれを疑い、


感覚から得た前提で


論理を組み立てることをやめるのだ。


さらに、自分が今ここにすわっているなどの


状況も疑ってしまう。


夢の中で自分は夢を見ていることに気づかず、


それが本当の世界だと思っている。


だから、


この現実世界が夢のようなもの


であったとしてもそれに気づかないであろう


とデカルトはいうのだ。」
富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.106
posted by ふぃでりお at 23:18| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だからデカルトの疑い方はハンパではない。


「デカルトはこう考えた。


疑わしいものをすべて疑って、


どんなに疑っても


疑い得ないものが残るならば、


それこそが絶対に確実なものである。


これを方法的懐疑という。


だからデカルトの疑い方は


ハンパではない。」

富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.106
posted by ふぃでりお at 23:14| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする