2009年11月15日

クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』より


「人間があれば


言葉があり、


言葉があれば


社会がある。」

クロード・レヴィ=ストロース
『悲しき熱帯』(川田訳)下巻p.317(仏原書p.421)
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2009年11月14日

日本人は延長され拡張された母子関係にとらわれている


「おそらく日本人にとって重要なのは


血統ではなく、


むしろ岸田さんが


擬似的な血液関係と呼んだもの、


いわば血縁的な気分といいますか、


つまり身内意識ですね、


こちらのほうが大切なので、


血統は、


いわばどうでもいいのだト、


だから日本人を考える際に大切なのは、


むしろ、


この擬似的な血縁関係を求めてやまない


精神構造が何に由来するかを


考えるべきなんじゃないか、


というので、


あれこれ考えてるうちに、


結局これは


母子関係の反復なのではないか


と考え始めたわけです。


日本人というのは


延長され拡張された母子関係に


とらわれている民族なのではないか、


と思い始めたわけです。」

佐々木孝次+伊丹十三
『快の打ち出の小槌』朝日出版社 1980 p.9
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2009年11月13日

思わず友人に勧めたくなる、そんな書店


「「こんな書店は初めて。


書籍


書籍の上に積み上げられていたり、


難しい本の隣に


漫画があったり……。


本好きの本棚


みたいな空間が広がって、


思わず友人に勧めたくなる」

10月下旬に


松丸本舗に訪れた


三鷹市に住む


30代の女性会社員


笑顔で話す。」


日経MJ2009年11月8日p.5

日本経済新聞社
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2009年11月12日

チャンドラポールの街にはこれといった特徴がない


「マラバル洞窟


以外には


──それですら二十マイルも離れていたが──


チャンドラポールの


街には


これといった特徴がない」

E・M・フォースター
インドへの道』冒頭書き出し
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2009年11月11日

そりゃあだめだ、あんた、そりゃあだめですよ。


「ごらんなさい、


このシャボテン殺しを!


あんたねえ、


鉢を水のなかにつけたら、


鉢がミズノハナでおおわれてしまいますよ。


土が酸性になっちゃいますよ。


そりゃあだめだ、


あんた、


そりゃあだめですよ。」

カレル・チャペック
『園芸家12ヶ月』(小松太郎訳)中公文庫 1975 p.130
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2009年11月10日

しかし侵略的であってはならぬ。


「汝らに戦いを挑む者があれば、


アッラーの道のために


戦え。


しかし


侵略的であってはならぬ。


アッラーは


侵略者を愛で給わぬ。


彼らに会えば、


どこでも連中を殺せ。


汝らを追放した所から、


彼らを追放せよ。


まことに


迫害は


殺害よりも酷いのである」

コーラン 第二章、一九○〜一九一節

サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』下巻 解説に引用
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2009年11月09日

トゥーツ&ザ・メイタルズ,『Funky Kingston』

トゥーツ&ザ・メイタルズ,『Funky Kingston』

「これも渋いなあ。


レゲエが


世界に発信されはじめた


70年代中盤の


レゲエ・アルバム


トゥーツは


メンフィスソウル


影響を受けたスタイル


人気を得ました。」

監修ハロルド作石&月刊少年マガジン編集部
BECK MUSIC GUIDE』講談社 2005 p.25
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2009年11月06日

ボブ・マーリー,『Chances Are』これは渋い!


ボブ・マーリー,
『Chances Are』

「これは渋い!


なにしろボブの


世界デビュー前のコレクションです。


ボブをある程度


聴きこんでからじゃないと、


このCDには手を出さないのでは。


さすがです。」

監修ハロルド作石&月刊少年マガジン編集部
BECK MUSIC GUIDE』講談社 2005 p.25
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2009年11月04日

「トレンチタウン・ロック」にこんな一節があります


「ボブ・マーリー


トレンチタウン・ロック


という曲に、


こんな一節があります。


音楽のいいところは、


打たれても


痛みを感じない


ってことだ」


まさにそのとおりで、


どんなに激しい音楽も、


決して


人を傷つけることはありません。


むしろ、


生きていれば


誰もが感じずにはいられない


さまざまな痛みや苦しみを


和らげてくれたり、


勇気を与えてくれたりすることのほうが


ずっと多いのです。」

監修ハロルド作石&月刊少年マガジン編集部
BECK MUSIC GUIDE』講談社 2005 p.306
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2009年11月03日

ビートルズは、ジャンルを開拓するイノベーター


「…ビートルズ


60年代の音楽シーンを先導し、


新たなジャンルを開拓する


ミュージック・イノベーターで


あり続けた。


アルバム『ラバー・ソウル』は


フォーク・ロックの、


サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は


サイケデリック・ロックの草分けであり、


各ジャンルを代表する


アルバムとなっている。


また、


のちにロックのメインストリームとなる


ハード・ロックの最初の楽曲として、


「ヘルター・スケルター」(『ホワイト・アルバム』所収)


をあげる人もすくなくない。」

監修ハロルド作石&月刊少年マガジン編集部
『BECK MUSIC GUIDE』講談社 2005 p.48-49
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2009年11月02日

鞭声粛々夜河を過る


「鞭声粛々夜河を過る


暁に見る千兵の大牙を擁するを


遺恨なり十年一剣を磨く


流星光底長蛇を逸す」


頼山陽
『不識庵機山を撃つの図に題す』
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2009年11月01日

少年はアメリカの奔放な音楽に魅せられていた


「ふたりの少年は、


アメリカのラジオ局から


流れてくる


その奔放な音楽


魅せられていた。


特に


ニューオーリンズの放送局は、


レイ・チャールズ、


ファッツ・ドミノ、


カーティスメイフィールド


ブルック・ベントン


といった


最新の曲を送り込んでいた。


そしてまた、


ボブとバニーは、


ジャマイカでも特にポピュラーな


ドリフターズのような


黒人ヴォーカル・グループにも


注目した。」

ロブ・パートリッジ(山本緑訳)
Bob Marley“Songs of Freedom”解説 p.10
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2009年10月30日

あまりにも耳をかたむけなければならぬことが多い


「しかしだんだんと


日本の國が大きくなり、


外へ出ていく人、


外から入つてくる者が


ひじやうに多く、


もうこの太平洋戦争よりも


ずつと前から村で話になる事件は


何十倍、何百倍といふほども増加し、


話の種類もすつかりちがつてきてゐる。


今ではあまりにも


耳をかたむけなければならぬことが多いために、


かへつて注意もせずに過ぎていくことが、


いくらでもあるやうになつたのである。」

柳田國男「なぞとことわざ」
『定本柳田國男集』第二十一巻 筑摩書房 昭和45 p.71-72
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2009年10月29日

これは のみの ぴこ


「これは のみの ぴこ


これは のみの ぴこの すんでいる ねこの ごえもん


これは のみの ぴこの すんでいる ねこの ごえもんの しっぽ ふんずけた あきらくん


これは のみの ぴこの すんでいる ねこの ごえもんの しっぽ ふんずけた あきらくんの まんが よんでる おかあさん」

谷川俊太郎・作、和田誠・絵
『これはのみのぴこ』サンリード 2008
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2009年10月28日

どっどどどどうどどどうどどどう


「どっどど


どどうど


どどうど


どどう


青いくるみも吹きとばせ


すっぱいくわりんもふきとばせ


どっどど


どどうど


どどうど


どどう」

宮沢賢治
『風の又三郎』

齋藤孝『声に出して読みたい日本語』草思社 p.18 「一、腹から声を出す」にも収録
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2009年10月27日

マルセル・デュシャンのラレー街11番地のドアは、


「マルセル・デュシャンは


「蝶番」という着想を、


文字通りに、


また逆説的に用いようとした。


そのために、


彼のラレー街11番地のドアは、


閉じていながら開き、


開いていながら閉じる。


そこには、


ラフォルグの「独身のたそがれの嘆き」


という詩が隠されている。」


オクヤナオミ
『余白は芸術に関係がない──が、ひとつのフォルムである』水声社 2008 p.9
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2009年10月26日

どびんわり(しゃくとりむし)小学館昆虫の図鑑より


「どびんわり


(しゃくとりむし)


むかし、


畑仕事をしていた農夫が、


枝だと思って、


どびんをかけたら、


おちてわれたので、


この名がついた。」

古川晴男監修
『小学館の学習百科図鑑2昆虫の図鑑』小学館 昭和46年 p.46

むかし、自分が読んでた図鑑を子どもが読んでいる。そんな幸せ。
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2009年10月25日

幻の方が色あせて消えていくということにはならない


「夜半、ふと眼をあけると、


視界全体が、いつのまにか


生家の八畳間になっている。


それは幻というやつであって、


今、


自分が、


どこに寝ていてどういう状態か、


むろんよく承知をしている。


けれども、


頭がはっきりしているから、


幻の方が色あせて消えていく


ということにはならない。


多分、


三分か五分ほどの間であろう。


その間、


古い映画フィルムのように


チカチカとそれはまばたきし、


しかし頼りなげではなく、


むしろ圧迫さえするように


視界をおおっている。


眼を開いていても


つぶってみても同じことで、


自然に消えていくまで、


静かな発作に身をまかせるようにして、


つくねんと


それを眺めているより


仕方がない。」

色川武大
「作品T」『生家へ』
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2009年10月24日

小早川、加藤、小西が今宵の月を如何に見るらん


「一九一○年八月二九日、


「日韓併合」をなしとげて


初代朝鮮総督となった


寺内正毅は、


その夜、


月を見ながら


「小早川、加藤、小西が世にあらば、


今宵の月を如何に見るらん」


と詠み、


秀吉の時代に朝鮮侵略の


先頭に立った諸大名が


為し遂げられなかったことを


実現した感慨に


耽っている。」

上杉聰
『天皇制と部落差別』三一新書 1990 p.56
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2009年10月21日

ケン・イシイの「EXTRA」とナルト


大学生の時、


あるミュージッククリップ


釘付けになったことがある。


ケン・イシイのミュージック・クリップ、


EXTRA」。


ボクの大好きなアニメーターのひとり、


森本晃司さんの作品だ。


…学校を休んで


一日中ずっと見るほど


ハマってしまった。


なぜそんなにハマったかというと、


初めて見る映像だったからである!


…まずキャラ主観で


パースガンガン変化しても、


それにそって背景がきっちり動く。


そこに空間の狭さや奥行きを


リアルに感じることができた。」

岸本斉史
『NARUTO-ナルト-』巻ノ十八 生い立ちヒストリー28より
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2009年10月19日

シテ方、ワキ方、狂言方、囃方そのすべてを能役者


「能舞台は


ふつう六メートル四方の


本舞台の四隅に


柱を立てて屋根を懸け、


これにアト座・地謡座・橋掛りを付けた構造だ。


この上にシテ方(シテ、シテツレ、子方、地謡)、


ワキ方(ワキ、ワキツレ)、


狂言方(アイ)、


囃方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)などが出て、


能を演ずる。


広義にはそのすべてを能役者というが、


狭義にいう能役者は


シテ方、ワキ方だ


(狂言方は狂言師という方が通りがよい。)」

高岡一弥・高橋睦郎・森田拾史郎
『能』ピエ・ブックス p.83 2004
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2009年10月18日

これらの暗く毒にみちたページの沼地をたどりつつ、


「天に願わくは、


読者が大胆になり、


しばしのあいだ


彼が読むもののように


凶暴になって、


これらの暗く毒にみちたページの


荒涼とした沼地をたどりつつ、


方角を失うことなく、


みずからの


険しく未開の道を


見出ださんことを。」

ロートレアモン伯爵(藤井寛訳)
『マルドロールの歌』福武文庫 1991 第一歌 冒頭
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2009年10月17日

あの時間のひどい重荷を感じないために


「肩を砕き、


匍うようにかがませる、


あの時間の


ひどい重荷を感じないためには、


君は


絶えず酔っていなければ


ならないのだ」

シャルル・ボードレール
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2009年10月15日

その目を世阿弥は「離見の見」という言葉で表現。


「…老境に達した世阿弥は


「花と、面白きと、珍しきと、


これ三つは同じ心なり」


とも言っている。


ここでは、アウラは


演者から発出するものというより、


観客に感受されるもの


として捉えられている。


つまり、


よい能を最終的に実現するのは


よい観客であり、


よい観客によい能を


実現させることのできる演者が


よい演者ということになろう。


そのためには演者は


演者であると同時に、


観客として


自分の演技を見る目を


持たなければならない。


その目を世阿弥は


「離見の見」


という驚くべき言葉で


表現している。」

高岡一弥・高橋睦郎・森田拾史郎『能』ピエ・ブックス p.87 2004
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2009年10月14日

一生を通じてぼくは見てきた。〜マルドロールの歌〜


「一生を通じて


ぼくは見てきた。


ただひとりの例外もなく、


狭い肩をした人間たちが、


数多くのばかげた行ないをなし、


同類たちを痴呆状態におとしめ、


あらゆる手段を尽くして


人々の心を堕落させるのを。


みずからの行動の動機を


称して言うには、


栄誉だと。」

ロートレアモン伯爵(藤井寛訳)
『マルドロールの歌』福武文庫 1991 第一歌五節
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2009年10月13日

マルドロールは<鱶>や<鮫>や<虱>の同類なのだ


「ロートレアモンは、


じぶんを人間から類別された


<人間>


という場所に追いあげる。


そこは


人間を


<人間>が


眺めることができる場所である。


[…]


この場所では、


じぶん以外の人間は


<他者>として映る存在では


なくなってしまう。


あたかも、


人間が


<鱶>や<鮫>や<虱>を眺めるように、


人間を眺めるという


視座にたつことを意味している。


つまり、マルドロールは


<鱶>や<鮫>や<虱>の


同類なのだ」

吉本隆明
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2009年10月12日

一睡夢 一盃酒

「四十九年 一睡夢


 一期栄華 一盃酒」

上杉謙信 辞世
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2009年10月10日

とっぴん ぱらりの ぷう


「とっぴん ぱらりの ぷう」

長谷川摂子 文、はたこうしろう 絵
『てのひらむかしばなし ももたろう』
岩波書店 2004

物語の括りのコトバ
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2009年10月09日

あなたに向けて書くものが文学となるからには、


「私が


あなたに向けて書くものが


文学となるからには、


私はもはや


あなたに語りかけません。


それゆえ私は、


特に


あなたに語りかけるように


私に命じる


あの義務に背いているのです」

ジャック・デリダ
『郵便絵葉書』
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2009年10月08日

身体に何ができるかということさえ、わかっていない


「スピノザが、


身体に何ができるかということさえ、われわれにはわかっていない、


と言うとき、


この言葉はほとんど鬨声に近い。


彼は続けて次のように言う。


われわれは意識、


精神、心、身体に対する


精神の能力について語る。


われわれはこれらについて


おしゃべりはするが、


身体に何ができるかということについて


何も知らないのであると。


道徳的な饒舌が


真の哲学に代わっているのである。」

ジル・ドゥルーズ(工藤喜作・小柴康子・小谷晴勇訳)
『スピノザと表現の問題』法政大学出版局 p.265 1991
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2009年10月07日

開かれた自由人・閉ざされた自由人


「デュシャンは、


領収書の裏やホテルの便箋の


余白に書いた、


「蝶番」から「遅延」に至るメモを


そのまま『グリーンボックス


で公開している。


さらに、


美術家としての歩行の軌跡は


フランスからアメリカへ、


アメリカからアルゼンチンへと


地球の緯度を周遊している。


行動範囲の広さでは


他に例をみない、


開かれた自由人である。


他方、


マレーヴィチは


キャンバス全体を真黒に塗ったわけではない


『白地の上の黒い正方形』に、


白地という


余白を残している。


彼は、


国外の展覧会で


ワルシャワ、ベルリン、デッサウと歴訪したが、


突然の帰国命令によって帰国後、


一時、逮捕、投獄された


閉ざされた自由人である。」

オクヤナオミ
『余白は芸術に関係がない──が、ひとつのフォルムである』水声社 2008 p.10
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2009年10月05日

クロード・モネ『ルーアン大聖堂』


「印象派の画家


クロード・モネの『ルーアン大聖堂』


を描いた連作は


三十枚にも及んだという。


そのうちの二十八枚は、


大聖堂の正面ファサードを


ほぼ同じ視点から、


さまざまな天候の下で、


一日のうちの


異なる時間帯に描いている


というから驚きである。」

オクヤナオミ
『余白は芸術に関係がない──が、ひとつのフォルムである』水声社 2008 p.21
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2009年10月04日

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』


レオナルドが、


「わたしに関心をもつなら、わたしを読み給え」


と差し出した『モナ・リザ』は、


一五一○−一五年頃、


七七×五三センチの板に


油彩の作品である。


この、「モナ・リザ」と呼ばれる


優雅な女性の光と影の織りなす


「微笑」は、


心の平静さと安らぎを伝えるとともに、


観る者の心にゆさぶりをかける、


その冷たい官能性は


知的で情熱的な、


混沌の世界へ招き入れずにおかない


魔力を秘めている。」

オクヤナオミ
『余白は芸術に関係がない──が、ひとつのフォルムである』水声社 2008 p.45
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2009年10月02日

この世に強い人なんておらん!


「旅に出て


よかったのは海を見れたこと


一度見たかったんじゃ


美作に海はないからの


又八のおかげじゃ


又八……


この世に強い人なんておらん


強くあろうとする人


おるのはそれだけじゃ」

井上雄彦『バガボンド』31巻 #272 講談社 2009
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2009年10月01日

新しい光で読んでもらひたいのです。


「此叢書の


一つの価値は、


寸分も作り話の無いことです。


敢て有益とは言ひませぬ。


面白ければ其で結構です。


炉何となれば、


現実にして且


面白ければ、


是ほど結構な人世は無いからです。


炉辺とは有りますが、


炉の無い家では


火鉢の側でもよろしい。


又炬燵の上でも宜しい。


夏は涼しい処で読んで下さい。


みんなの中で、


一番やさしい


声の佳い人に読んでもらって下さい。


但し「あかり」だけは、


蝋燭見たやうな


昔風のものではいけませぬ。


新しい光で


読んでもらひたいのです。」

柳田國男「赤子塚の話」炉辺叢書序
『柳田國男全集3』
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2009年09月30日

まったく、何という眼だ。


「モネは


眼で描いた画家


であるが、


まったく、


何という眼だ。」

ポール・セザンヌ
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2009年09月28日

デューラーの銅版画『メランコリア T』


「パリのマレー地区文化会館で


開催されたある展覧会に出品された、


ドイツ・ルネサンスの画家


アルブレヒト・デューラーの銅版画


『メランコリア T』(二五×一八センチ)、


この小さな空間に、


わたしは


これまでの絵画という概念を


根底から揺さぶられた。


絵ならざる絵


を視たのである。


画面の中心に、


頬杖をついて考えこむ


翼をもった女性メランコリアを


取り囲むように、


さまざまな物体が点在している。


砂時計、天秤、梯子、彗星、虹、蝙蝠、童子、石臼、葉冠、コンパス、鍵束、財布、定規、鉋、鋸、やっとこ、球体、インキ壺、犬、金槌、海や岬……。


とりわけ、


メランコリアの前後を挟む、


左側の多面体と


右上の魔方陣に


どんな秘密が隠されているのか。


この八面体の奇妙な


幾何学的フォルムは、


なぜか、


デューラーの墓碑のように見える。


魔方陣は、


数字を入れ替えて


制作年代「一五一四」(年)を


暗示しているだけの存在だろうか!」

オクヤナオミ
『余白は芸術に関係がない──が、ひとつのフォルムである』水声社 2008 p.22
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2009年09月26日

「なんとかにて候」と言えば話が通じるわけです。


「江戸時代、


徳川幕府が能を


式楽と定めました。


では、


なぜ能を武士に習わせようとしたのかというと、


当然、


精神的なものもあるでしょうが、


言葉使いを学ばせたかったのです。


今、


これだけメディアが発達して、


標準語のテレビ番組


見ているにもかかわらず、


たとえば東北地方に行ったら


東北の訛りがあるし、


九州に行ったら


九州の訛りがある。


だから、


江戸時代はもっとひどかったわけですよ。


地方の大名が参勤交代で


江戸に行く。


すると訛りで全然、


言葉が通じない。


でも、


能を習っていれば


「なんとかにて候」


と言えば話が通じるわけです。


それと、


徳川幕府から


能の先生を地方の藩に


派遣していました。


その能楽師は、


地方の藩の情報収集のために


派遣されているんです。


江戸時代の能は、


そういうふうにも


使われていたのだろう


と言われています。」

梅若基徳・河野智聖
『能に観る日本人力 武術・整体研究家が読み解く能楽師の身体に秘められた古の知恵と能力』BABジャパン 2008 p.36
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2009年09月25日

デカルトは自分の分析への好みを肯定する。


「デカルト哲学は


明晰・判明な観念の


ある種の充実を基礎としている。


この充実は


デカルトの方法を基礎づけているが、


他方


それはこの方法そのものの


適用によって証明される。


デカルトは


自分の分析への好みを肯定する。


重要なテキストにおいて


彼は、分析的方法が


「結果がいかに原因に依存するか」


をわれわれに分からせる


長所をもっている、


と主張している。」

ジル・ドゥルーズ(工藤喜作・小柴康子・小谷晴勇訳)
『スピノザと表現の問題』法政大学出版局 p.157 1991
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2009年09月23日

説明なしで強い印象を与える日本の伝統的芸術


ヨーロッパ


アメリカの知的な人びとに、


説明なしで強い印象を与える


日本の伝統的芸術が、


すくなくとも二つある。


一つは能で、


もう一つは俳句だ・・・・


パリと東京


二つの軸足にして


国際的に活躍している


私の親しい


韓国人画家の意見だ。」

高岡一弥・高橋睦郎・森田拾史郎『能』ピエ・ブックス p.7 2004
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2009年09月22日

つまり、先祖がえりしたわけですね。


「これは、


遺伝学でもよく解けないのですが、


たとえば、日本種のコメを田んぼにまいて


同じ所で同じ種籾を


同じような方法で育てておりますと、


二、三年たつと、


その中から長粒系の赤いコメができる。


これは、


改良されてとっくになくなってしまっているはずの


昔の形質が、どういうわけか、


ひょいと出てくるんですね。


そして、さらに、


五、六年もそのままにしてほうっておきますと、


その田んぼの全部が


赤ゴメになってしまう。


つまり、


先祖がえりしたわけですね。」

角川書店編『日本史探訪1』角川書店 p.157
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2009年09月21日

−あっそうだ、日本がまけたのだ。−


「とつぜん、


すこしはなれたところで、


食事をしていたなかまが


「朝鮮独立万歳!」





おおごえでさけびました。


−あっそうだ、日本がまけたのだ。−


ムンドクは、


数日まえの夜、


いちまいの紙きれが、


そっとまわされてきたのを、


おもいだしました。


「朝鮮人たちがまんしろ。


もうすぐ日本はまけ、


朝鮮人はかえれる。」


かいてある字のうまさから、


これは日本人のかいたものだ、


とムンドクはおもいました。


それだけに、


日本がちかいうちにまけるなんて、


ほんとうだろうかと


うたがいました。」

「つれてこられた朝鮮人」p.81-82

吉田悟郎・鈴木亮・久坂三郎・徳武敏夫・本多公栄編集
『少年少女おはなし世界歴史21 平和と独立』岩崎書店 p.1970
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2009年09月19日

なろうなろうあすなろう


「なろう 


なろう 


あすなろう 


明日は


檜になろう」

藤子不二雄A『まんが道』
もと井上靖『あすなろ物語』
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2009年09月18日

ギャァァァンに近い音を出していたギタリスト BECK


「…この時代、


ギャァァァンに近い音を


出していたギタリストが、


いなかったわけではない。


シカゴブルース・ギタリストたちである。


彼らは、


必要以上にハイ・ボリュームの


セッティングをして、


アンプの電気回路に


過剰負担をかけると、


ソリッド・ギターは歪んだ、


自己主張の強い音を


出すことに気づいていた。


ブルースマンの


タバコとウィスキーでしわがれた声と、


ハーモニカの音には、


この音が


みごとにマッチしたのである。」


ハロルド作石監修 草野真一構成『BECK Volume00a THE GUIDE BOOK EX』講談社p.102
posted by ふぃでりお at 23:44| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

オルトロスの犬 それが、ほんとに守るってことだ。

「本当に


守りたいやつがいるなら、


そいつをつよくすることだ。


お前なんかいなくても


そいつが


ひとりで生きていけるようにな。


それが、


ほんとに守るってことだ。」

TBSドラマ「オルトロスの犬」第六話裏切り者

滝沢秀明扮する竜崎臣司のセリフより

見てないけど…
posted by ふぃでりお at 22:02| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

メタな構造を持ったアイデアに満ちた曲

「EMINEM,“Stan feat.Dido”


スリム・シェイディ/


マーシャルマザーズ


エミネムの全てに、


限りなく自己投影して


生きてきた


狂信的なファンが書いた


ファン・メールを


曲にしたもの。


なのだが、


手紙の地の部分をライムしているのは、


このファン自身である


と考えるとわけがわからなくなるか…


それほど


メタな構造を持った


アイデアに満ちた曲。」

小林雅明
エミネム「カーテン・コール。〜ザ・ヒッツ」解説より
posted by ふぃでりお at 22:10| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

兵隊さんが死ぬときに、「お母さん」と言う

「(谷川)たとえば太平洋戦争中、


兵隊さんが死ぬときに、


「天皇陛下万歳」というよりも


お母さん」と言う人のほうが


多かったみたいな話をよく聞きますね。


天皇に対する感情というのは


世代によって相当違っていて、


明治生まれの人なんかは


特別な感情を持っていますが、


あれは父親像的なイメージによるんですか。


(河合)天皇は母親的でもあるんです。


そこが、日本の天皇制を理解するとき、


ものすごくむずかしいところなんです。


天皇制を論理的に批判しようとする人は、


西洋のモデルを使うでしょう。


ああいう絶対的な権力を持ったやつがいるから、


みんなその命令に服して


ばかなことになったと。


つまり、


父と息子のモデルを


そこに使おうとするわけです。


しかし、


父−息子のモデルに近かったのは


明治天皇ぐらいで、…」

河合隼雄・谷川俊太郎
『魂にメスはいらない』講談社+α文庫 1993 p.227
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2009年09月12日

行為に関する意見こそ、人を動かすもの


「行為にあらず、


行為に関する意見こそ、


人を動かすものぞ」


エピクテータス

トリストラム・シャンディ』エピグラフより

ローレンス・スターン
(朱牟田夏雄訳)『トリストラム・シャンディ』
岩波文庫
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2009年09月11日

ある日、金持ちの邸へ数人の客が集まった。


「ある日、


金持ちの邸へ


数人の客が集まった。


そして偶然にも、


人生に関するまじめな会話が


交わされることになった。


一同は席にいる人、


いない人の誰彼について


さまざまに話しあった。


が、


自分の生活に満足している人物を、


一人も見出すことができなかった。


誰一人自分の幸福を


誇ることができなかったばかりでなく、


自分は真のキリスト教徒に


ふさわしい生活をしている


と思っている者さえ、


一人もいなかった。」

トルストイ
「閑人たちの会話」
『光あるうち光の中を歩め』のプロローグ 新潮文庫 p.6 昭和27
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2009年09月10日

The Band,“The Last Waltz”

The Band,
“The Last Waltz

苦しい時間に流れる音楽


「作石プロでは、


仕事がいちばん辛い時間帯に、


このアルバムがかかるんです。


アルバム全体に


哀愁のようなものが


感じられて、


癒されるんですよね。」

ハロルド作石監修 草野真一構成『BECK Volume0 THE GUIDE BOOK
p.22 2002
posted by ふぃでりお at 23:39| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTV の色

「港の空の色は、


空きチャンネルに合わせた


TVの色だった。


「別に用ってるわけじゃないんだけど──」


と誰かが言うのを


聞きながら、


ケイスは人込みを押し分けて


チャット》のドアに


はいりこんだ。


「──おれの体が


ドラッグ大欠乏症


になったみたいなんだ」」
ウィリアム・ギブスン
『ニューロマンサー』ハヤカワ文庫 1986 冒頭書き出し
posted by ふぃでりお at 19:35| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

『資本論』を経済学の書としてしか見なしていない

「経済学部の学生として


『資本論』を精密に読んだため、


私は、


ルカーチから


アルチュセールにいたる


マルクス主義哲学者が、


事実上それを読んでおらず、


ただ


それを彼らの哲学的関心に


還元しているだけだ


ということに不満であった。


と同時に、


経済学者が『資本論』を


たんに経済学の書としてしか


見なしていないことにも


不満であった。


私は、


この「批判」が、


資本主義や古典経済学の批判


などというよりも、


資本の欲動と限界を明らかにするものであり、


さらに、


その根底に、


人間の交換という行為に


不可避的につきまとう


困難を見いだすものだということを、


徐々に認識しはじめた。」

柄谷行人ほか
『NAM生成』太田出版 p.15 2001
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2009年09月07日

ひとつの時代の要点をまとめる最良の方法


「ひとつの時代の


要点をまとめる最良の方法は、


時代の社会的、


イデオロギー的構造を


規定する明確な特徴に


注目することではなく、


時代に取り憑く


見捨てられた亡霊たちに、


すなわち、


非実体的な存在が生き続け、


みずからの効力を


発揮し続けている


神秘的な領域を住みかとする


亡霊たちに、


目を向けること


であるかもしれない。」

スラヴォイ・ジジェク
(中山徹訳)『脆弱なる絶対−キリスト教の遺産と資本主義の超克』冒頭書き出し
posted by ふぃでりお at 00:40| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

大君は神にしませば


「大君は


神にしませば


赤駒の


はらばふ田居を


京師となしつ」

大伴御行
『万葉集』

壬申の乱後、天皇を神とたたえる歌。天武・持統天皇のころ。
posted by ふぃでりお at 21:35| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

『ショーシャンクの空に』っていう映画があるんだ


「『ショーシャンクの空に』っていう


映画があるんだ


無実の罪で刑務所に入った主人公が


フィガロの結婚』っていう


オペラの曲を刑務所の中で流す……


一瞬囚人たちが


自由を感じるという


とても感動的なシーンなんだ


ここは刑務所じゃないよ!


本当は


一人で聴こうと思ったんだけど


ふとそれが頭をよぎったんだ


こんないい曲


みんなに聴かせない手はないって


それで思わず


スイッチに手が…」

ハロルド作石
BECK』4巻 p.104-105
posted by ふぃでりお at 21:52| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

ギブソンSG…SGはソリッド・ギターの略

ギブソンSG…


SGは


ソリッド・ギターの略


弾いてみると


アンガス・ヤング(AC/DC)を魅了したのが


よくわかる


こりゃ即買いだな


金さえあれば!!」

ハロルド作石
BECK』4巻 p.14-15
posted by ふぃでりお at 23:16| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

老子曰く


日常のなかで、小さいことは、ついつい「まぁいっか」となりがち。

そんなとき思い出す、このコトバ…

「小事を


軽んずる


勿れ」

老子
posted by ふぃでりお at 16:11| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

“方便”は、サンスクリット語で“ウパーヤ”


「…“方便”


という語は、


もとはサンスクリット語(梵語。インドの古典語)であって、


“ウパーヤ”といいます。


そしてその“ウパーヤ”は、


「近づく」


という意味なのです。」

ひろさちや
『法華経で生まれ変わる』学研M文庫 p.20 2000
posted by ふぃでりお at 21:52| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

全人類史上、日本が進歩をなしとげた


「全人類史上、


そのとき


日本が成功したほどの


長足の進歩を


なしとげた


国家は


かつてなかった。」

H.G.ウェルズ
『世界史概観』
posted by ふぃでりお at 23:07| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

わたしたちは、このシャバで生きているのです


「…「シャバ」


というのは、


主人公の「自由な世界」


という思いが込められ、


「自由な世界ってのはいいなぁ」


というような意味です、


ところで、


この「シャバ」というのは何なのでしょうか。


「シャバ」ということばは、


「サハー」ということばの音訳です。


では「サハー」とは何か。


「サハー」というのは


「忍土」


──じっと堪え忍んで生きてゆく土地──


という意味なのです。


そして、


わたしたちは、


このシャバで生きているのです。」

ひろさちや
『法華経で生まれ変わる』学研M文庫 p.114-115
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後世まで行われていたお歯黒の習慣も南方的な

「抜歯の風習は、台湾・南シナ・インドシナ・マライ・ポリネシアオーストラリアアフリカなどの原住民に、広く行われた南方的な習俗である。おそらくすでに行われていたと思われる全身の文身も南方起源の風習であるらしく、後世まで行われていたお歯黒の習慣も南方的なものである。(略)…日本文化における南方的要素は、絶対に否定できないものである。しかもそれは西部日本に色濃く広がっている。」

大野晋『日本語の起源』岩波新書 p.78 昭和32年
posted by ふぃでりお at 00:40| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

日本語のハ行音は、ファ・フィ・フ・フェ・フォ


日本語のハ行音は、


古い時代には


両方の唇を近づけて発音する音


であったから、


ファ・フィ・フ・フェ・フォ


のように発音されていた。


骨(Fone)がアイヌ語で


ポネとなっているのは、


そうした事情を考えに入れると、


日本語とまったく一致する形


と見てよいだろう。


しかし、


アイヌ語には別にケウ(kew)という語があって、


今は合成語の中だけに使われている。


おそらく、これが、


骨を意味する古いアイヌ語であったらしい。


ちょうど、


肺の日本語フクフクシが亡びて


シナ語ハイによってとって代られたように、


アイヌ語ケウは、


日本語ホネによってとって代られ、


古い言葉は合成語の中だけに


残ったのである。」

大野晋
『日本語の起源』岩波新書 p.46
posted by ふぃでりお at 23:54| Comment(1) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

書は手先で書くものではない。


「書は


手先で


書くものではない。


頭で書くものでもない。


人間が


書くものだ。」
中川一政
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2009年08月21日

…この行き過ぎ状態に歯止めをかけたのが、カント


「…人間には


わかることとわからないことがあり、


その境界線


しっかりと知らなければならない


ということである。


境界線を踏み越えて


勝手な推理をすると


痛い目にあうのだ。


…大陸合理論の哲学者は、


この一線を踏み越えてしまった。


理性が


すべてを把握できるという


傲慢な態度で


世界の謎に挑むようになったからだ。


…この行き過ぎ状態に


歯止めをかけたのが、


カントである。


理性は万能ではなく、


ある程度の限界をもっている事実を、


カントは


明らかにしたのだ。」

富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.152
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2009年08月20日

職場が嫌になって、別の仕事に逃げたくなっても、

「また、職場が嫌になって、別の仕事に逃げたくなっても、やはりとどまるべきだと思います。仏教の原則からいえば、職場から逃げたくなるのは、誰のせいでもなく、あなた自身が原因だからです。自業自得ということです。自分のつくった業は自分で精算しなければなりません。来世に引きずって行くことなど愚の骨頂だと思うのです。ですから仏教の生き方というのは、じっと耐えることです。それが仏教の基本的な生き方なのです。」

ひろさちや『法華経で生まれ変わる』学研M文庫 平成12年 p.87
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2009年08月19日

飽かなくもなほ木のもとの夕映え


「飽かなくも


なほ木のもとの


夕映えに


月影やどせ


花も色そふ」

板垣信方

武田春信家臣
posted by ふぃでりお at 22:19| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

まず根を確かにおろさなくては!


「成長を


欲するものは


まず


根を


確かに


おろさなくては


ならぬ。


上に伸びること


のみ


欲するな。


まず


下に


食い入ることに


努めよ。」

和辻哲郎
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2009年08月16日

書は自然の妙有に同じ、


「書は


自然の妙有に同じ、


能く


力運の成すところに


あらず。」

孫過庭
『書譜』
posted by ふぃでりお at 23:42| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

老婆であれ、プロレスラーであれ、坐っていただく


「@あっ、お年寄りが立っている。つらそうだな


Aこれは見るに忍びない


B立って席をかわってあげよう


このプロセスでは、


「あの人はかわいそうだから


助けてあげよう」


という精神しかありません。


つまり、


「小さな親切」


を実践したのであり、


道徳にほかならないのです。


布施は、


自分のための修行なのです。


相手が老婆であれ、


プロレスラーであれ、


「相手に坐っていただく」


という精神が


なくてはならないのです。」


ひろさちや
『法華経で生まれ変わる』学研M文庫 平成12年 p.58
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2009年08月13日

マルクスは「構造としての社会」を提示した


「…現実の社会は、


個々人がそれぞれのパートを


なかば盲目的に弾いている、


ひとつの巨大な交響曲


であるかもしれない。


しかし


経験的にたしかめられる


自己の周囲になりひびく音は、


一見混乱していて、


楽曲の全貌はおろか、


そのような部分的な場所で


作用しているシステムですら、


把握することはできないだろう。


そのような巨大な交響曲を


総譜として書きあらわすには、


経験的な方法は無力である。


すなわちひとつのモデルとしての


総譜をつくりあげ、


その総譜に書かれている


自己のパート


(それは他のパートすべてと


論理的・構造的に関連し、


総譜の全体性のなかに


整合するものでなくてはならない)


が、


はたして


経験的にたしかめられる


自己の音や


周辺になりひびいている音を、


そのようなものとして


解釈できるかどうか


たしかめるほかはない。


つまりマルクスは、


資本主義社会の


かくされたシステムを、


いわば『資本論』という


ひとつの総譜として


書きあらわし、


モデルである


「構造としての社会」


を提示したのだ。」

北沢方邦『構造主義』
講談社現代新書 昭和43年 p.90
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2009年08月12日

しづかに観ずれば、


「しづかに


観ずれば、


物、


皆自得す。」

松尾芭蕉
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2009年08月11日

一つの神を選ぶことは、他の神々を侮辱すること


「神々は


窮極的なもので、


その正当性を


理性によって


定めることはできず、


ただ非合理な帰依のみが


可能である。


人が


一つの神を選ぶことは、


他の神々を


侮辱することであり、


それらを


悪魔とすること


である。」


マックス・ヴェーバー
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2009年08月10日

松の事は松に、竹の事は竹に、


「松の事は


松に習へ、


竹の事は


竹に習へ」

松尾芭蕉

服部土芳『赤冊子』より
posted by ふぃでりお at 23:50| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

わたしは良心を持つてゐない。


「わたしは


良心を


持つてゐない。


わたしの


持つてゐるのは


神経ばかり


である。」

芥川龍之介
「わたし」『侏儒の言葉』
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2009年08月06日

世にしたがへば、


「世に


したがへば、


身、


くるし。


したがはねば、


狂せるに


似たり」

鴨長明
「方丈記」


そんな時代だな〜今も
posted by ふぃでりお at 19:48| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

「活動」の本質は自由であるとのべた。


「アレントは前作


『人間の条件』において、


人間生活のあり方を


「活動」「仕事」「労働」の


三つに分類し、


それぞれについて批評した。


そのなかで彼女は、


「物あるいは事柄の介入なしに


直接人と人との間で行われる


唯一の活動力」としての


「活動」をとりあげ、


その本質は


自由であるとのべた。


すなわち、


「仕事」はそのなかに


目的=手段の関係を含み、


「労働」は肉体のもつ


必然に従うという意味で、


いずれも自由ではないのにたいし、


「活動」はこのような


目的=手段の関係や


肉体の必然性から解放されている


という意味で、


自由である。」

志水速雄「訳者あとがき」ハンナ・アレント
『革命について』ちくま学芸文庫 1995 p.462
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2009年08月03日

誤解しないように、慎重に読んで戴きたい。


「戦争は、


すぐれて


聖の


本質的な性格を帯びている。


だからそれは、


客観的に考察されるのを


断わるかのようにみえる。


それは、


いわゆる批判的精神


といったものを


麻痺させてしまう。


戦争は恐ろしいものだが、


また印象的でもある。


人は


これを呪うけれども、


また


たたえることも忘れない。


ただ


これを研究しようとする人たちは


少ない。」

ロジェ・カイヨワ(内藤莞爾訳)
『聖なるものの社会学』p.129 2000
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2009年08月02日

これで日本の剣道は滅びるのです。


「いや…


わたしは


あの子たちに


会わせる顔がない


という気分なのです…


常日頃より


剣道とは何か


武道とは何か


と説いておきながら、


わたしは


天覧試合を止めることが


出来なかった…


この先剣道は


どんどん


試合に勝つための技に


堕してゆくでしょう…
……

これで


日本の剣道は滅びるのです。」

村上もとか
『龍』4巻 p.84
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2009年08月01日

スピノザ=ルソー=ゲーテ的人間こそ、父であり母

「「デカルト的言語学」を提唱しているチョムスキーのひそみにならってあえていえば、スピノザ=ルソー=ゲーテ的人間こそ、その父であり母であり、のちに「人間」の分裂によってマルクス的人間とフロイト的人間に分裂せざるをえなかったものなのである。」
北沢方邦『構造主義』講談社現代新書 昭和43 p.42
posted by ふぃでりお at 17:28| Comment(0) | まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

ぼくは花を真上から踏みつけすりつぶした


「部屋の中は


窓も入口の扉も


しめきられているのに


奇妙に寒くて、


このままにしていると


ぼくの体のなかまで


凍えてしまう気がした。


ぼくはうつぶせになって


机の上に置いてある


物理のノートに書いた地図


×印をつけた。


いま×印をつけた家には


庭に貧血ぎみの


赤いサルビアの花が植えられており、


一度集金にいったとき、


その家の女が出てくるのがおそかったので、


ぼくは花を


真上から踏みつけすりつぶした。」

中上健次
「十九歳の地図」p.81 冒頭 『十九歳の地図』河出書房新社 1981
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2009年07月29日

ひとつの思想が異なる言語・文化体系に移されること


「…すでにひとつの思想が


異なった言語・文化体系のなかに


移されることは、


それ自体で第一次的


とでもいうべき変換を


ひきおこしているのであるし、


そのことの自覚なしには


紹介すらもありえない


からである。


われわれはそれに


あえて第二次的な変換を


あたえようとするであろう。


その第二次的な変換は、


われわれの状況が


要求しているものへの、


自覚的で方法的な接近


によって必然的に生ずる


変換にほかならない。」

北沢方邦
『構造主義』講談社現代新書 昭和43 p.3-4
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2009年07月28日

面を打ちなさい!


「試合に


勝つための技など、


武専生には


いらないのです。


普段の稽古どおりの剣で


試合に勝てるようで


なければならない!


面を打ちなさい!


面を打つのが


一番難しいのだ!


面さえ打てれば


あとは


どこでも打てるのです!」
村上もとか
『龍』2巻 p.58
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2009年07月27日

言語インペリアリズム(帝国主義)がはびこりました


「現代哲学が


それまでの時代の哲学に対して


際だっているのは、


言語・他者・身体を


扱うところにあると


よく言われます。


いっとき言語主義と言われるものが流行り、


言語を介して


すべてのものが理解されるのだから、


世界の構造が理解されるためには


言語の構造が分析されなければならない


という言語インペリアリズム(帝国主義)


がはびこりました。」

星敏雄
『意味と身体 ハイデッガー、フッサール、そしてメルロ=ポンティ』弘文堂 平成8年 冒頭書き出し
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2009年07月26日

人は、人生を始めてから、徐々に芸術を始める。


「人は、


人生を始めてから、


徐々に芸術を始める。


私の場合は逆で、


芸術を始めてから


人生を始めたような


気がしている。


それはそれとして、


一般的には、


人生から芸術へ


というのが筋道であろう。」

三島由紀夫
『若きサムライのために』文春文庫 冒頭書き出し 1996
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2009年07月25日

〔立ち居合の部〕十本目「四方切り」

「(十)十本目


「四方切り」


[要義]


前進中、四方の敵の殺気を感じ、


機先を制して


まず刀を抜こうとする


右斜め前の敵の右こぶしに「柄当て」し、


つぎに左斜め後ろの敵の「水月」を突き刺し、


さらに右斜め前の敵、


続いて右斜め後ろの敵、


そして左斜め前の敵を


それぞれ真っ向から


切り下ろして勝つ。」

財団法人全日本剣道連盟
「全日本剣道連盟居合(解説)」
p.27
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2009年07月23日

私的言語に対するウィトゲンシュタインの有名な議論


「「私的言語」に対する


ウィトゲンシュタインの


有名な議論は、


非常にしばしば


論ぜられて来たので、


それについて


その上更に


詳論することは


無駄ではないか、


という疑いがないわけではない、


という事は確かである。


以下で述べる詳論の


大部分の内容は、


以前、一九六二−三年の学期に、


私の心に浮かんだものである。


その時、


ウィトゲンシュタインの見解についての


この本でのアプローチが、


天啓の如く脳裏に閃いた。」

ソール A.クリプキ(黒崎宏訳)
『ウィトゲンシュタインのパラドックス−規則・私的言語・他人の心−』産業図書
一 序章 冒頭書き出し p.
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2009年07月21日

他人の言葉に振り回され、他人の人生を生きてしまう


「自分のことを


考える場合には


なるべく


正確な言葉を


使わなければならない。


そうでないと、


自分が持っているのでもない


他人の言葉に振り回されて、


結局他人の人生を


生きてしまうことになる。」

秋山駿
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2009年07月20日

我々は…知識を持つことはできない。


「我々は、


理念に対応する


対象については、


蓋然的な概念を


もち得るにしても、


知識


を持つことは


できない。」

イマニュエル・カント
『純粋理性批判』1781
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2009年07月19日

紀元五四年、ネロが十七歳で即位したとき、


「『アポコロキュントシス』は、


紀元五四年、


ネロが十七歳で即位したとき、


少年のころからネロの


師傳であり


今や帝室の最高顧問になっていた


セネカが、


笑わせながらネロに


皇帝としてのクラウディウスの


愚劣と残酷を風刺し、


「正しい王」のあり方


を示唆した


短い政治上のパンフレットである。」

国原吉之助「解題」
岩波文庫
ペトロニウス
『サテュリコン』より p.373
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2009年07月15日

オスカー・ワイルドもいうように


オスカーワイルドもいうように


「モードとコレクションは、


どちらも宗教によっては


決して与えられなかった


安心感を人間に与える」


のである。」

ジャン・ボードリヤール(今村仁司・塚原史訳)
『象徴交換と死』ちくま学芸文庫 1992
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〔立ち居合の部〕九本目「添え手突き」

「(九)九本目


「添え手突き」


[要義]


前進中、左の敵の殺気を感じ、


機先を制して


右袈裟に抜き打ちし、


さらに腹部を


添え手で突き刺して勝つ。」

財団法人全日本剣道連盟
「全日本剣道連盟居合(解説)」
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2009年07月12日

カント以前の哲学説では、


「カント以前の哲学説では、


外にある物体を


カメラのように


精神が捉えているという


素朴な認識論しかなかった。


だが、


彼は、


物をあるがままに


認識しているのではなく、


素朴を意識の方から


作り直していると考えた。


これを


コペルニクス的転回


という。」

富増章成
アニメで読み解く、痛快【哲学入門】空想哲学読本』宝島社 2003 p.158
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2009年07月11日

辞典と名のつくものは、集めるのが大好きである


「私は


フランス語の辞書だけでなく、


およそ辞典と名のつくものは、


百科事典をも含めて、


それを集めるのが大好きであるが、


日本語の辞書でも、


古本屋などで


変わったものを見つけると、


乏しい財布の底をはたいて


それをかいこむことにしている。


そして暇があると、


それを開いて楽しむことにしている。


辞書というものは、


どっから開いても読めるし、


また、


どこで読むのをやめてもさしつかえない。


したがって忙しいときの


息ぬきに読むのに


最も最適だし、


逆に、


手持ちぶさたで困っているときには


これほど暇つぶしに好適な本はない。」

河盛好蔵
「辞書を引く楽しみ」『辞典のはなし』角川書店編 昭和40. p.13
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2009年07月09日

「僕は当て推量なんかしない」──ホームズ


「「僕は当て推量なんかしない」


──シャーロックホームズ


『四つの署名』


「しかし、われわれは


当て推量によって


真理に達するか、


まったく諦めるか、


どちらかしかない」


──チャールズ・S・パース『草稿』692」

T.A.シービオク・J.ユミカー=シービオク(富山太佳夫訳)
『シャーロック・ホームズの記号論─C.S.パースとホームズの比較研究─』岩波現代選書 1981
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2009年07月07日

人間の実体は実存(die Existenz)なのである。


「しかしながら


人間の実体は


霊魂と


肉体の総合


(die Synthese von Seele und Leib)


としての精神ではなく、


実存


(die Existenz)


なのである。」

マルティン・ハイデガー
『存在と時間』(原佑・渡邊二郎訳)中公バックス 世界の名著74 昭和55 117
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2009年07月05日

ずっと以前、僕がまだ九つで、この世が素晴らしく、


「ずっと以前、


僕がまだ九つで、


この世が素晴らしく、


人生がまだ美しく


不思議な夢であった頃、


僕以外の者が皆、


少しキ印だと思っていた


従兄のムーラッドが、


朝四時に家に来て


僕の部屋の窓をたたいた。


「アラム」


僕は飛びおきて、


窓の外を見た。


僕は自分の目が


信じられなかった。」

ウィリアム・サローヤン
『我が名はアラム』福武文庫 1987 冒頭書き出し
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2009年07月04日

思想警察はウィンストンをうち砕いた。


「ここでちょっと、


ジョージ・オーウェルの


『一九八四年』を取りあげてみよう。


ウィンストンはジュリア


愛しているにもかかわらず、


思想警察の餌食になって


ジュリアを否定し、


裏切った。


それは思想警察が、


彼の最も恐れているものが


ネズミだということを発見したからだった。


飢えきったネズミのはいった籠が


ウィンストンの頭上に置かれたとき、


思わずウィンストンは叫んでいた。


「こんなことはジュリアにやってくれ!」。


思想警察はウィンストンをうち砕いた。


この部分は


身の毛もよだつような場面で、


気の滅入りそうなほど


現実味にあふれている。」

ジョージ・オーウェル
『一九八四』

ディーン・R・クーンツ
『ベストセラー小説の書き方』朝日文庫 p.219 1996
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2009年07月03日

その意味では日本文明というものが歴然と存在します


「わたしが考えている


文明というのは、


むしろフランスにおける


シビリザシオンにちかいもの


でございまして、


精神文明も物質文明も


両方ともふくんでおります。


歴史的連続体としての


文明をかんがえている。


そのなかには


人間そのものがふくまれております。


人間の組織、


人間をとりまく


さまざまな装置、


道路であるとか、建築であるとか、


都市・産業、そういうさまざまな装置群、


さらにそれを運営するとりきめ、


つまり制度ですね。


その全体をふくんだもの、


それの歴史的連続体が


文明だというふうに


かんがえております。


いいかえると、


人間、装置、制度、組織の全体で


つくっているシステム


ひとつの文明である、


その意味では日本文明というものが


歴然と存在します。」

梅棹忠夫
京都の精神』角川ソフィア文庫 平成17 p.162
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2009年07月02日

祝祭日は、諸人物の追憶に捧げられるのです。


「祝祭日というものは、


一般的にいって、


まず


回想に捧げられているものです。


ことに、


文化的生活の発展に、


特別な功績のあった


諸人物の追憶に捧げられるのです。


先行者にたいする


この好意ある祭典は、


まさに


ないがしろにすべき


ではありません。


とくに、


過去における最良のものへの追想は、


現代の善意ある人々にたいして、


勇気ある努力を


鼓舞するに


ふさわしいからです。」

アルバートアインシュタイン
教育について(一九三六年)」『晩年に想う』講談社文庫 p.50
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2009年07月01日

土と植物を相手にする仕事は、


「土と


植物を


相手にする仕事は、


瞑想するのと同じように、


魂を


解放させてくれるのです」

ヘルマ・ヘッセ
『庭仕事の愉しみ』草思社 1996
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